無理なものを無理矢理イエスといえばそれは自然なものと言えなくて、
自然なものを自然と求めて行動すればそれは一つの手段で形になる。
私たちは今何を求めて何を手に入れるのか。
それを形にしたいともがいているのは。
それは一つの愛の形で
「またか…」
私は心の中で呟いた。
通勤ラッシュでおっさん達にもみくちゃにされてそれだけでイライラしているというのに
この電車ときたらまた止まった。先ほどから「また」と接頭につけているのは
幾度も同じことを繰り返しているからだ。私は苦笑した。イヤホンを外す。
違う人のはずなのに、声の違いがよくわからない駅員さんの平べったいあひる声が現状を淡々とスピーカーを
通して話す。車内では一気に携帯をいじり始め、あるいは舌打ちをして、急いでいるわけではない人なのか
ある人は椅子にどっかりと座ってうたた寝をし続けている。
どうやら私の降りる駅から大分遠い駅での人身事故が原因らしい。一年に一度とか
そんな緩やかなペースでなく、もう月が替わるごとに一回は必ず止まる。
この路線を使う学校を選んだのは私だが、まさかこんなペースで止まってしまうとは
思いもしなかった。一向に走り出そうとしないこの電車を私は一旦降りて別の路線を
使おうとした。もう一年以上通っているのとよく止まるお陰でこの辺の路線は駆使できるほど
詳しくなっていた。私は今いるホームの反対側に行かなければならなかった。
「あれ?じゃん」
私と同じことを考えていたらしいおじさん達はあまりに早歩きをするものだから
私はまたもみくちゃにされてすぐその声の主は分かったのに、探すことができなかった。
腕を掴まれたかと思うとそのままそちらに引きづられ私はその集団の外へ飛びぬけた。
「切原っ」
「ははっ。すげぇ飲み込まれてたな。」
そう言うと切原は吹き出すように笑った。私は押しつぶされていた自分の姿を考えて
それからおかしくなって笑ってしまった。
「どしたん?」
「このままじゃ学校に着かないってことしかわからないわ。」
「何また止まったの?」
私が呆れたように切原に頷くと切原も揃って苦笑してくれた。
切原と私は同じこの路線を使っていて此処の駅から乗る切原より私は三つ手前の駅から乗る。
切原の朝練が無いときはこうしてたまに会うこともある。
「一限は遅れっかな、これ」
それでも動こうとしない電車を見つめて切原は呟いた。事実を見つめながら言ったその言葉に
英語の嫌いな切原の希望が多少入っていることは勿論言うまでも無いのだけれど。
今度は私がその言葉に苦笑して反対側のホームを見つめた。時間が無くてコンタクトレンズを
していなかった私はあちら側がぼんやりとしか見えない。だけれど移り動いているものが
人間だということくらいわかる。私の悪い目から入ってくる情報の中では
混雑という言葉でまとめるよりぐちゃぐちゃと言ったほうがいいかもしれない。
「あっち行かなきゃね。」
さぼろうとしていたことがばればれな切原に対して私は正当な答えで返した。
切原も諦めたように「だよな」と呟く。
私達は別の路線を使おうと移動していた人ごみを見送ってからゆっくり階段を上り始めた。
横にはエスカレーターもあるのだけれど普段体育以外で運動をあまりしない私は
エスカレーターを使わずに階段で上ることを心がけていた。
割と意志の弱いほうだと思っていた私は何故だかこれだけはしっかり守ってどんなに
遅刻しそうな時でも決してエスカレーターを使うことはなかったのだった。妙なこだわりだった。
私達の足取りはだんだんと重くなってどんどん遅くなっている。やる気が無いというより
見ているだけで気だるい、といった感じだろう。随分時間をかけてやっと反対側のホームへ
辿り着いた。時間が時間なだけにまだホームは混雑しまくっていた。
閉まらないドアに駅員さんが一生懸命人を押し込んでドアを抑えている。
「…無理だろ。」
「…だね。もう一本待とうか。」
普段なら無秩序に押し込まれたこの中に覚悟を決めて飛び込んでいくのだが、
今日は隣に切原が居る。同じクラスの男子と他人に紛れて押しつぶされるだなんて
中学生の私は考えたくも無く、それでなくともなんとなく罪悪感に似たものを感じるだろうと思った。
もう何本電車を見送っただろうか。携帯電話を取り出そうとしてバッグの中を探ろうとしたけれど
パッと目に入ったホームに取り付けられている時計に気付いて手を止めた。
間違いなく一限には間に合わないと悟った。私はちらりと切原を見る。急に降り出してきた雨を、
横に吹き流れてきた雨を微かに浴びながら高層ビルの多い街を眺めていた。
特に仲のいいわけでもなかったので、会話はほとんどなかった。切原の横顔を見つめながら
私はその沈黙に緊張していたのと別の意味で緊張していたのとでドキドキしていた。
「一限、出れそうにないね。」
「ホント、超ラッキー。」
「…」
「あ、嘘です。出れなくて残念だなー、ホント。」
もうテストが迫っているというのに切原の能天気さに私は横目で見た。
昨日家でやった所でよく理解できないところがあった私は今日授業の後で質問しに行こうとしたのに
職員室まで行かなければならなくなった。手間がかかって嫌だった。
その後白々しく言った切原に私はため息を付いたけれど、質問の手間のことはさっぱり忘れて
私はそのため息を笑顔に変える。
『災い転じて福と成す』
まさにそんな感じだった。喋ることはあまり無いけれど
一緒に共有できるこの空間をできるだけ長く留めておきたいと考えてしまった。
もっと立場が切原の近くにいられるものであったならそれは大層幸せなんだろうなぁ、と考えるけれど
今現在ある私であるならば、欲を出さずとも幸せでいられる気がした。
最もそれは「気がする」だけで本当にそうなったらどうなるかわからないし、
好きである気持ちは変わらないから、そうなりたいと思うのは自然だと思う。
何が好きかだなんて、一度で答えられるはずはない。実際自分でもよくわからない感情で
初めてだから一言で済まされるような簡単なことではないと思う。
たかが13年生きてきただけでまだ世界のほんの一部をかじった程度にすぎないから
何もわかっちゃいないと貶されたりするのは当然で、下に見られるのも当たり前だ。
だからと言って私自身が全て間違っているとは思わないし、思いたくは無い。
それ故に一言で済むなんて、そんなことは思わないのだ。
まわりのざわめきが減りようやく落ち着いてきたホームの様子を見て私は次の電車に乗ろうと
バッグを持ち直した。切原にとっては思い出としても残らない今日の出来事であっても
私は細切れの一瞬一瞬を絶対に忘れないと思う。軽く唇をかみ締める。
そんなことを考えているうちに電車は到着してしまった。
「逆周りで行かねぇか?」
腕に感じた今日二回目の手のひらの感触に私は一度振り返る。拍子抜けの言葉にも切原なりに
意味が込められていて私はその意味の意外さにすこし驚いた。
電車のドアの警笛が高く無機質に鳴り響く。
「あー…俺とずっと居るのは嫌か。」
意識はしていなかったが耳に入ってきたのは「ドアが閉まります」のアナウンスで
私は既にその警告のいらない外へ居た。先ほどとは別の感情で私はもう一度切原のほうへ振り返る。
微かな鼓動が腕を伝わって、私の鼓動と重なる。
「…二限も一緒にさぼってもいいよ。」
完璧には言えなくて荒削りな言葉で私の気持ちを表すのはまだ難しい。
だけれど、まだ形作られてもいないけれど、ただそれもひとつの形になり行くもので
いずれははっきりとした形になっていくものだ。だから今はそれでいい。自分の気持ちを確かめられれば充分だった。
自分の気持ちを確かめて、そして恥ずかしくなる。できる限り遠まわしにした言葉を選んだつもりが
一番率直な気持ちを伝えていたと今更気付いたからかもしれない。体は少しだけ火照ってくる。
私たちはそのまま逆へ向き、電車を待つ。
掴まれた手は、そのまま離されなくて電車がくるまでがとても緊張していた。
影響のでていなかったこの路線は例のごとく到着した電車のドアが開くと
弱い冷房の風が顔に吹き付けてきて、夏を一気に思い出させた。
先ほどまで頑張っていた駅員さんは居なくなり、そのなかにすんなりと人が納まってしまうので
あの押し詰め状態は嘘だったかのように忘れ去られた。
全ては形でこれも一つの、私の形なのだ。
無理なものを無理矢理イエスといえばそれは自然なものと言えなくて、
自然なものを自然と求めて行動すればそれは一つの手段で形になる。
私たちは今何を求めて何を手に入れるのか。
それを形にしたいともがいているのは。
急ぎ足の早朝からゆったりとした午前中に移り変わっていった。
@ @ @
電車がよく止まるウチの路線で考えちゃった話です(笑)
06/0610