E m p t y B o x 0 1
家の土地が狭いこともあり、部屋は私と姉で共用だった。
小さいころは自分たちが小さいだけにあまり抵抗も感じず、それほど不便でもなかったが
いくら女子といえど中学生が二人も生活していれば充分窮屈だった。
淡い色のカーテンから西日が漏れる。隙間から差し込む光はあたりのものをオレンジ色に染めた。
私が最近気に入っているパンクグループ、セカンドショットのアルバムを聞いていたら後ろにいた姉は
音がうるさい、とドアを乱暴に閉め先ほど部屋を出て行ってしまった。この激しいベースとエレキの響きにはどうも私の
安っぽいヘッドホンでは耐え切れなかったらしい。姉は部屋を出て行ったまま戻らなかったので
塾に行ったんだろう、そう考えてヘッドホンをオーディオから抜こうとしたが、すぐ横での大音量に
慣れてしまっていたのでフルにするとなんだか迫力に欠ける。多分私の耳は既におかしい。
結局ヘッドホンでのクリアな音を爆音で聞くことにした。
繰り返し何度も聞いている曲なのでリズムは鼻歌でとっていたがテンポの速いこの曲の英語についていけず
とびとびに歌ってみた。アルファベットとにらめっこもしてみたが英語は所詮中学レベルなので
文字を追うだけでいっぱいいっぱいで今日も諦めてしまった。
投げやりな気持ちになってため息をつく。それから何も考えずにいると大音量も激しいリズムも何も聞こえなくなった。
このまま寝てしまおうかと目を閉じた瞬間、カーテンの後ろに隠れるベランダの大きめの窓がコツンコツンと音を立てたので
少し驚いた。
「、いるー?」
「え…あ、うん。いるよ。」
「入っても大丈夫?」
「どーぞ。」
私はヘッドホンを外しCDケースと一緒に机の横に寄せておいた。声の主は隣に住んでいる菊丸英二だ。
夜でもないのにカーテンが閉められている理由はこれだ。幼馴染といえど思春期の男女が窓越しに私生活が
見えるのは一つの屋根の下で一緒に暮らすことよりもおそらく数十倍恥ずかしいだろう。
このベランダは英二の部屋のベランダとほんの数ミリ離れているだけでもうむしろ直結しているといっても
過言ではないと思う。その証拠に今のようにいつも窓からお互いが出入りしている。
家の前の道を行く人に驚かれたり、変な目で見られたり、あるいはお節介な近所のおばちゃんに注意されたりしたけれど、
私の記憶が曖昧な時期からしていることなのでもう慣れてしまった。
私が窓の鍵を開けると英二はカーテンの裏からもぞもぞと現れた。開け放たれたカーテンの下からは我慢していたのを
発散するかのように強い突風と突き刺さるような光が申し分なく割り込んできた。
やはり一つの小さな窓からよりもずっと明るかった。
「あれ、先輩いないの?」
「うん、今さっき塾行っちゃったと思う。」
「…そっか。」
英二は私の目から一旦視線を逸らし、俯き気味に答えた。
英二が姉のことを急に先輩と呼ぶようになったのは中学へ入学して一ヶ月くらいたってからだった。
姉は違和感があるからやめてほしいと何度か言っていたが呼んでいるうちに姉もなれてしまったのか何も言わなくなった。
いつの間にかそれが当たり前になって、私も英二がずっと昔から姉をそう呼んでいたように聞こえていた。
私に対しても同じだ。同時期に私のことも名前でなく、苗字で呼ぶようになった。
私はそれに対して何も言わなかったが本当は「」と最初に呼ばれたとき、深い深い寂寥感と疎遠感を感じていた。
今でもそうだ。いや違う。呼ばれるごとに心の中にある蟠りがどんどん大きくなっていく。
仕方ないことくらいわかっていた。ただ違いは私が英二に特別な感情を抱いてしまってせいだ。完全に負けていた。
だけれど私のそれはほとんど叶わない事を知っている。
英二の表情を見て、私まで俯く。思っていることは全く違うのに。
悲しい、とかそんな単純な感情じゃない。もっと複雑で、難しい。この感覚を初めて味わったのは中学校に入る直前だった。
英二が何か飲みたげな口をしていたので私は姉の机の横にある小さな冷蔵庫の傍までいった。
私たちの部屋は二階にある。この冷蔵庫は勤勉家な姉が階段を下りて飲み物を取りに行くと集中力が切れる、と
言っていたところに私がたまたま懸賞であてたものだ。2リットルのペットボトルこそ入らないが、
500ミリリットルのものなら充分に入る大きさだったので姉は気に入り、使ってくれている。
「残念、何もないよ。」
私がひんやりとした空気を手に感じながら冷蔵庫を中身を見ると空っぽだった。
そう言って英二を見るとえー、と言いながら口を少し尖らせて床にゴロンと横になった。
「俺んとこにも無かったから来たのにさぁ。」
「あ、でも下にはあると思うから持ってこようか?」
「嘘ウソ、冗談。別に気遣わなくてもいいんだ。そんなことで来た訳じゃないんだし。」
英二は起き上がり、私の目を見て笑った。ずきんずきんと胸が痛む。もう知っているくせにどこかで期待している
自分が醜いと思った。激しい動悸のようなものを感じた。
「あはは、英二さっきと矛盾してる。いいよ、気遣ってるわけじゃないんだし。お茶でいい?」
「おう、サンキュ。」
私は自分の感情と戦えずにその場から逃げるようにして階段を駆け下りた。
乾燥した唇をなめてみると唇を少し強く噛みすぎていたらしく、口の中に鉄の味が広がった。
少量だったが喉の中に流れ込んで軽い吐き気に近いものを感じた。
「あれ、お母さんお茶は?」
冷蔵庫を開けてみるとごちゃごちゃしている割に飲み物は見当たらなかった。
詰めすぎた場所はもう限界だったらしく黄色いチューブ型のからしが落ちてきた。
読書好きな母はリビングでクラシックの音楽を聞きながら厚めの本をゆったりと読んでいた。
「今飲もうとしたんだけど、ちょうど切らしちゃって。パックも無いから諦めてたとこ。」
母は一ページ捲り、瞳が文字を追っていてそこから動く様子は全く見られないので
買い物に行く気もないんだと感じ取り、少しため息をついてしまった。
「、買ってきてくれるー?」
「今英二きてるから。」
「だったらなおさら。すぐそこじゃない。」
反抗期が遅く最近抜け始めたばかりの私はじゃああんたが行けよ、と思ってしまうのだったが
それ以上に母の機嫌を損ねたくは無かったのでそれに従うことにした。
それから母にもらった500円玉をオレンジ色の財布に入れて階段からちょっと外に行ってくると
英二に向かって叫んだ。
外は昨日と打って変わってとても晴れていて暖かい。今年は未だに三寒四温が続いている。
それでも大分草木は芽を出して、暖かな今日の日はより一層鮮やかに彩られている気がした。
それが凄く心地よくて思いっきり深呼吸をしてみた。春の香りがする。
路地の角をすぐ曲がると向かい側にコンビニがある。中は冷え込むほどでもなかったが
それでもドリンクのある奥のほうは肌寒かった。
2リットルのお茶と同量の炭酸飲料を素早く取り出してレジへと向かう。
特に急いでいるわけも無かったがなんとなく早く家に帰りたかった。
ビニールの袋に入れてくれた二つのボトルは少し重く、時々私の足にぶつかる。
風が吹くと当たった場所が冷やされ冷たかったが、寒いとは感じなかった。
ただ、やっぱり私の足は勝手に急いでいた。
「ただいまー。」
無駄に西洋造りのドア鍵を横から縦に閉め、行儀悪く足だけで靴を脱いだ。
誰かの靴を踏んでしまったので結局下を見ることになった。
すると、先程までは無かった私のものではないスニーカーが揃えて隅においてあった。
私はそれを見て少し寂しい想いを感じた。それまで急いでいた気持ちが急に消えた。
「ありがとう、冷蔵庫に入れておいて。あ、お姉ちゃん帰ってきたから、お姉ちゃんのも持っていってあげて。」
私は声も出さずコクリと首だけで頷きたった今買ってきた飲み物をコップに注いだ。
階段に、あまり足が進まなかった。ドアノブに手も掛けたくなかった。
でもそれは自分の勝手だということはわかっていた。誰も、悪くないのに。
ただ私の勝手な感情で全てを壊したくはなかった。それは仕方ないと思っていた。
それでも自分の感情はでしゃばりだからこんな場面で気が進まなくなる。
「おかえり、お姉ちゃん。…英二、たかが飲み物に遅くなってごめん。」
「なんだよ、それー。ってやっぱ面白いよな。」
私が姉に目を向け、それから英二に向けると英二は笑って返してくれた。
けれどさっきのような期待感は全く無かった。
姉は塾へ行ったのではなく、図書館に本を返しに行っただけだったらしい。
英二は姉に一方的ではあるが話している。大人びている姉はあまり笑ったりしない
クールな女子であるが、英二と話しているときは時折笑顔をみせる。
そんな姉を見て英二はますます楽しそうに笑顔で話す。
何度も私はその笑顔を壊してやりたいと思った。
私は姉が嫌いなわけではない。寧ろ大好きだ。頭が良くて、美人で、スポーツも出来る。
そんな三拍子揃った姉を私は心から尊敬している。それなのにほんの少しだけれど
心のどこかで「帰ってこなければよかったのに」と思っている自分がいる。
そう思ってしまう時の自分が素直に嫌いだった。それさえもわかっていた。
居心地が悪くなり、私はまたヘッドホンをセットした。さっきの比では無いほどボリュームをあげた。
二人が話している声が全く聞こえないくらいにしたかった。
激しいリズムは私の気持ちを高めることもできず違和感だけが残った。
お姉ちゃん、ごめんね。
ごめんね、英二。
心の中で謝ることしかできなかった。
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