歩くだけで汗が吹き出る。今年の夏は特に暑いらしくて、毎日毎日「今夏最高気温記録」という言葉を聞いているんじゃないか。
そんなことを思っちゃうくらいだ。やる気のでないだるさと一緒にあたしは額の汗を右手で拭った。
さすがに私立であるので全教室冷暖房完備だが、まだ廊下や玄関ホールまでとはいかないらしい。
もう中二の夏も終わるんだなぁ、と携帯のカレンダーを見ながら思って自動販売機のお茶のボタンを押した。
思えば中二の夏。ほんとに何もなかったなぁと振り返ることしか出来ない。周りに聞く浮いた話も、あたしの周りじゃなにも起こらなかった。
お茶のボタンを押したつもりだった。しかしガコンという音を立てて出てきたのはお茶じゃなく、あたしの飲めない有名な黒い色した炭酸飲料だった。
反対側にあるボタンを間違えるはずはない。が、出てきたのはその反対側にあった炭酸飲料。
あたしはしゃがんだままぱっと顔を上げるとこの暑さに憎たらしいほどの笑顔で立ってる男がいた。
「ごちです。」
「あんた喧嘩売ってんの?あたし暑さと補習で機嫌悪いの。」
「だってこれ飲めないじゃん。間違って出てきたのにもったいないだろ」
「それ押したのあんたでしょ。金返せ。」
「あのなー。120円そこらでけちけち言ってるからストレス溜まんだよ」
「ストレスの原因つくってんのは明らかにあんただから。そんであたし今慢性的金欠病なの。」
「そんなんだから彼氏できねーんだよ」
「はぁ!?」
あたしは結局、切原曰く「間違って出てきた」炭酸飲料を彼に奢り、溜息をつきながら500円玉でもう一度お茶を買いなおした。
切原の顔をちらりと見て、あたしはもう一度深い溜息をついた。その時に切原が言った「あ、幸せ逃げたー」という言葉が
なんだか無償に腹立って脛でも蹴ってやろうかと思ったが、暑さにとことん弱いあたしは今そんな余力は残っていなかった。残念。
自販機の向かいにある白いベンチに座って、元気にボールをかっ飛ばす野球部を見た。
切原もその隣に座ってにやにやしながらあたしを見る。それがなんか気になってプルタブを上手くあけられない。
「で。」
「…何?」
「夏休みの収穫は?なかったの?」
「収穫?何が」
「男」
「…毎日補習漬けでおまけに予備校通いのあたしにそんな暇あるとお思いで?」
「それがなくても思わない」
「120円返せコラ!」
あたしが切原のシャツを掴みぐらぐら揺らしてやると、「うわ、ヤンキー!こえー」と言う。それがまた笑いながらだから
腹が立つ。勉強面とか性格面であたしに勝るところなんて全くないが、あたしに対する嫌がらせだけは一級品だなと思った。
毎回毎回常々思ってることで、それはそれは心底思っていることなので、それがぽろっと口から出てしまった。
「嫌がらせだけは一級品だよね、切原」
「褒められた」
「感心とかじゃないから、それ。てか褒めてないし。」
「ていうかさ、俺なんかにいじられるお前って案外バカなんじゃねーの?」
「誰がバカだ!もーあんたうざいの代名詞だよ!あんたと話してると調子狂う!」
暑さにかまかけて、この男はあたしのイライラゲージを満たしていく。あたしはベンチから立ち上がってさっき来た道を
すたすた歩き始めた。もうホント何なの!あたしってそんないじられキャラだっけ!?なんであたしこの男のこと好きなんだろう!?
「ちょっ、待ってよ。どこ行くの」
「涼しいとこ!ここ暑い!」
ぶっきらぼうな言葉しか吐けない。それは自分の中の葛藤がぐるぐる取り巻いているときであるからで、イライラしてるからだ。
これはあたしの悪い癖だよなぁと心を落ち着けて2、3歩足を前進させて歩いているうちに、頭の中の足を一歩下げて冷静に考えてみた。
よく考えた。いろいろ考えた。いろんな方向に考えをめぐらせて考えた。ひっかかる言葉はこれ一つ。
あたし今「なんでこの男のこと好きなんだろう」とか思ったよね!?え、ていうかあたしこの男のこと好きだったっけ!?好きなの!?
ますますわけがわからなくなってきたあたしは勝手に混乱し始める。誰か、頭に水ぶっ掛けて!このままだとオーバーヒートするわ、絶対!
それでも夏の暑さは途切れ方を知らない。しかも今太陽が絶頂に昇っているこの時間帯。あたしの体内温度が上昇するのも大分早い。
「待てって」
そう言って切原はあたしの沸騰しそうな体を引き止めた。腕を掴まれていた。条件反射で後ろを振り返る。
切原の顔を見た瞬間、あたしの混乱とか葛藤とかもやもやとか熱さとか、そういうのが全部吹っ飛んでた。いい感じに真っ白。そんな感じ。
「俺も涼しいとこ行きたい」
あたしは心臓をバクつかせながらも頭は冷静で、求めていた涼しい場所に入った。補習授業のやってない空き教室のクーラーの設定温度を16度まで下げる
という、この上なく環境のことを考えない行動を取った。だって、あたしが暑いんだから仕方ないじゃない。
先ほど切原に腕を掴まれたあたしは妙に落ち着いちゃって、なんとなくそのまま一緒にこの教室まできた。あたしはまだこの感覚になれない。
あたしが勝手にヒートするまでは痴話喧嘩みたいな会話で、いつも途切れないはずなのに、一度正気に返ったら何も言葉が出てこなかった。
何故か切原もさっきまでの調子とは随分違うみたいで、なんの会話もない。あたしはわざとプルタブを弾いて気を紛らわした。
変に意識するって、多分こういうことだ。そんなこと考えても行き着く先は見えているので、そんなこと考えるのはやめとく。
ただそれには認めなきゃいけなかった。あたしは切原が好きなんだって。それはいつからなのか、たった今この瞬間だったのか、そんなことはわからないけど
そういう事実があるってことをわかってなきゃいけなかった。我ながら苦笑の出来事だ。
切原はあたしが奢ってやった飲み物を飲みながらこの教室からよく見えるグラウンドを眺めていた。
あたしはその横顔を見ながら「勝手についてきて、なんか喋れよ」と思った。上手くさっきみたいにかわせるかはわからない。
だからといっていきなりしおらしくなるのもな、とは思う。さっきまで120円でもめてた相手じゃん、と思うと笑えてくるから。
廊下やグラウンドからの声が窓をすり抜けて遠くのほうに聞こえる。それ以外、つまりあたしたちは音を立てていない。
妙な静寂の五分が流れたあと、切原は急に口を開いた。
「そういえばなんで夏休みなのに学校いんの?」
「さっき言わなかった?補習なの」
「…バカだから?」
「違うわアホ。自主的に取ったの」
「今は?まだ授業やってんじゃん」
「サボり。伊藤さんの授業なんだもん。だるいだるい」
「あとで伊藤に言っちゃおう。自分のだけサボってると思うと絶対泣くぞ、あいつ。」
「うっさいな。あんまし被害妄想につけこんでやるなよ。…あんた部活は?」
「午前中で終わった。」
『ふーん、と返しながら実は内心心臓張り裂けそう』、なんて乙女なフレーズが出てくればいいのにと思った。あたしはそういうタイプじゃないらしい。
でもなんか違う。ほんの10分前と話していたときとは違うんだ。違和感じゃないけど、それに似たもの。
張り裂けはしないけど、すこし心臓は高鳴っているのかな、と思った。その感覚は我に返っちゃえば凄くバカみたいだけど、今この瞬間だけは少し嬉しかった。
「予備校も行ってんだろ?…何そんなに頑張っちゃってんの」
「来年のことを考えてんの」
「三年になったらってこと?」
「うん。ほら、受験とか」
「それは、外部を受けるということ?」
「まぁ、そういうことになるね」
「なんで」
「なんでって言われても…ていうかまだ決めてるわけじゃないし」
あたしは早いペースでお茶を口に持っていっていた。何か落ち着かない。浮ついている。さっき感じた違和感に似たものはこれ。
いつもと変わらない口調に、いつもと変わらない可愛げのなさ。違うのはあたしの心。だけど違和感を感じてるのはそれだけじゃなかった。
何かもう一つ違う、直感でそう思った。
「ここじゃ出来ない方向性なわけ?」
「そういうわけでもないけど。将来の夢なんていつ変わるかわかんないしさ」
「今の将来の夢って何?」
「…絶ーーーーっ対言いたくない!特に切原だけには」
「えー!!教えろよ!そこまで言われたら気になんじゃん」
「ならない!気のせい!」
「気のせいじゃねーよ!気になるっつってんじゃん」
「さっきからやけにつっかかってくるけど、何、そんなにあたしのこと気になるの?」
会話に調子が出てきたあたしは自分が押し気味の状況に、いつもの仕返しと思いながら切原をからかってみようと思った。
どーせいつもの感じで「ふざけんじゃねーよ」くらいの言葉だろうなと思った。本心はそこじゃなくてまぁ、それは半分くらい期待の芽を持たせようと思ったんだけど。
とにかく口からでまかせてみた。
「…ったりめーじゃん」
「え?」
「の将来とか気になるに決まってんじゃん」
返された言葉はあまりにも予想外すぎて、ほんとに「え」という単発の言葉しか出てこない。またあたしの頭の中は混乱し始めそうだ。
いつものあいつの言動を元にした予想でも、ちょっとだけ期待してた言葉でもない。彼の言葉と気持ちが全く見えてこない。
切原はのん気に何もなくなった缶をふって「なくなっちゃったなー」とか言ってる。あたしはわけがわかんない。
「じゃ、俺帰るわ。ちゃんと出るなら出ろよ、補習」
「あ、あんたに言われなくても出る、し!」
「そか。じゃーなー」
16度に設定した教室はさすがに冷え切っていたようで、切原がドアをあけるとおぞましいくらいの湿度を持った空気が流れこんできた。
切原は廊下に出るとドア越しにニカっと笑いながらあたしに手を振る。あたしはこれまでになく「意味わかんない」っていう表情で手を振り返した。
「…っていうかそうじゃなくって…!」
あたしは切原が閉めたドアを勢いよく再び開けた。あたしが廊下に出たときは、彼は10メートルほど先にいた。
開けっ放しのドアから今度はこちらに乾いた冷たい空気を足元に運ぶ。なんで突然こんなことをしたのかはわからないけど、
今このことを聞かなきゃ一生後悔しそうな気がした。
「切原!」
走ったわけでもないのに、息が上がっていた。あたしの中から、何かあふれてくる。それは何なのかは検討がつかないけど、
考えもしないけど、止め処なく出てくる。止めちゃいけないと思った。流れに、言葉に、身を任せる。
「さっきの、どういう意味、なの?なんであたしの将来とか気になんのっ?」
切原はくるっと向きをこちらに変えた。あたしは一世一代の大博打でもやってるみたいで、有り金全部使ったまさに崖っぷち状態みたいで、
ほかの事はどうでもよかった。それだけが知りたかった。得体の知れない何かから抜け出せる時期なのかもしれない。
切原は口の横に片手をあてて、廊下に声を響かせてあたしに言った。切原は再び手を振りなおして、あたしに背を向けて歩きだした。
あたしは彼が見えなくなるまでずっと見守っていた。
「高校にあがったら、に告ろうと思ってたから」
もうすぐ、中二の夏が終わる。
微炭酸、レモンライム。
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すっごい酸っぱそう。
(070831)