彼女の機嫌が悪いのはいつものことのように思われたが、最近になってそれがより一層酷くなったように思われた。
原因は知れない。しかし放って置くと僕が酷い目に合わされそうな憂鬱から気に掛けずにはいられなかったのだ。


「お前、どうしたの?」


彼女と僕はここ16年間で顔を合わせなかった日を数えた方が早いのではと思うくらい毎日会っていた。
生まれる前からお隣さんだった両親共々仲が良く、ちょうど同じ時期に出生した僕らは
ご近所さんに同学年の子どもがおらず、必然的にずっと一緒に遊んでいたのだった。
そして近くの幼稚園へ行き、近くの小学校、近くの中学校へと通っていた。無論、通学路も同じであり、
ここまでくると気味が悪いのだが小中はクラスが離れたことがない。所謂、幼馴染という関係にあった。


「生理だよ。それくらい察してクダサイ。」
「そういうこと男子に向かって言うなよ。」
「そんなんで反応しないでよ、中学生じゃないんだから」


彼女は再び睡眠の体勢に入った。
お互い幼い頃から知っている仲なので、今までの経歴の恥ずかしい部分等を共有してきたわけだが、
成長していくに連れて気まずくなっていた、なんてことは特にありもせず、寧ろ中学生の男女でも
お互いの部屋にずかずか入っていけるような、そんな姉弟のような感覚だったのだ。
この場合半年先に生まれたから僕が兄のはずなんだけど、一度小学生の時にそういう話を彼女に持ち出したら
性格的にどう考えても私が姉だ、と提言されたのでそういうことにしておく。


さすがにここまで一緒は気持ち悪いよな、と話していたのがクラス替えをした中学3年に上がってすぐのことだった。
こういう話は今までも何度かあり、苦笑しながら今年もよろしく、とポテチで乾杯をしていたのだったが
時期も時期、進路の話題が出た直後だったせいか、いつになく彼女は真剣に考えていたのを覚えている。
そして彼女は「受験が終わるまで志望校を教えない」ということを提案してきたのだ。
面白がって僕も乗った。これで同じだったらどうしようもないな、と言いながら二人で腹を抱えながら
笑っていたのだが、案の定合格発表の時今いるこの高校で彼女の姿を見てしまったのだ。
そうして結局二人とも、割と近場で中堅クラスのこの高校に通っている。特に問題無く二年に上がった
僕らは、今年も同じ教室の中で同じ授業を受けているのだった。そして冒頭に戻る。


 まだ寒くはない。寧ろ夏日が5日に1回あるくらいのこの季節、彼女は既に黒いパーカーを持ち出していて
ここ最近昼休みはパーカーについているフードを被り上手いこと顔が隠れるように腕を敷き、45分間ずっと居眠りを
しているのだった。クラスの女子から「片瀬さん、何かあったの?」ということを聞かれたことが何度かあるので
どうやら疎まれているわけではないらしい。ただ「さん」付けされているところからわかるようにそこまで仲の良い女友達
というのはいないのだった。しかし毎日一緒に帰る身でありながら、僕も何も知らないのだった。
彼女が少し変だと気付いた時に何かあったのかと聞いたこともあったけど、別にと答える日もあれば
よくわからない女の理論を持ち出されたり、今みたいに生理だとか言う日もあった。

だから僕は昼休み中に去年彼女と仲良さげだった他クラスの女子(まぁつまり僕も同じクラスだったんだけど)に話してみた。
彼女は意味深に口元を上げて意地悪そうな目で僕を見ると「木戸くんも意外に鈍感なんだねぇ」とあしらわれた。
その時言われたことが僕にはよくわからなかった。要するに僕は何もわからないのだった。

 とりあえず昼飯は三限終わりの十分休みに食べてしまっているみたいだからそこは心配ないのだけど
授業が終わってから既に一時間。西日もこの三階の教室に絶妙な角度で入ってくる。今日はやけに橙色が
強くて、焼かれそうな目を擦った。お腹も減ってきたのでもうそろそろ我慢出来ない。

「おい」
「……」
「おい、片瀬依乃!」
「……何」
「何じゃないよ。もう帰りましょうよ。続きは家で寝てください」
「はいはい」


僕は黒いパーカーの眠り姫を起こして彼女が仕度が出来るのを机に座って待っていた。彼女は肩を叩いて
首をポキっと一回鳴らすと両腕を天井に突き上げ眠たそうな欠伸をしながら伸びをした。
もう、二週間である。深夜のお笑い番組の話をしても、学校の話をしても、音楽の話をしても、全部空返事しかしなかった。
こんなに会話が続かないのは十六年間で初めてだった。ずっと今まで一緒に居て、こんな表情を見せる彼女も初めてだった。
だから対処法も知らない。僕も戸惑っているんだと思う。悩み知らずだった僕がこんなに頭を捻らせてるのも初めてだ。わからない、わからない。

そんな僕の頭に過ぎったのは今日の昼休み。
勘も悪い僕だけど、今日はなんとなく冴えているような気がして、そして嫌な予感がしていた。

路地に入って手前が僕の家、奥が彼女の家だった。背中を僕に向けたまま「じゃあね」と手をひらりと舞わせた彼女に
僕はそのまま付いていった。彼女は一度立ち止まり、振り返って僕の目を見ていたが高校に入ってもずかずかと
勝手にお互いの部屋に入る習慣は未だ変わっていなかったので何も言わなかった。
用も無く彼女の部屋に来るのはいつものことで適当に座って適当にその辺にある漫画や本や雑誌を拝借して読むのだが
今日はそういうわけではない。彼女もそれに気付いたのか部屋に入ると必ず中々上物のステレオデッキにスイッチを入れ、
英語の歌詞の曲を爆音で流すのだが、それをしなかった。首に掛けていたヘッドフォンを小さなテーブルに置いて
いつものブラック珈琲をキッチンに取りに行った。カップ二つにそれを注ぐと一方を僕の手前に置いて
制服のスカートのまま床の上に胡座をかいた。この青色のカップは片瀬家で僕専用らしい。
サンキュと小さく言いながらどう切り出そうかと考えていたところを先ほどの帰り道とは別人のようなテンションで、
否、彼女がいつもの調子で言ってきた。


「で、何よ。折り入って話があります、みたいな」
「…お前が俺に話あるんじゃないの?」
「話なんてそりゃーもういっぱいあるよ。昨日の野球の話でもしようか?」
「依乃」
「やっぱ私的にはラミレスはヤクルトが良くてさぁ、それを言うなら岩ちゃんも帰ってきて欲しいんだけど」
「依乃、違うだろ」

僕が彼女を見つめて言うと飲んでいた珈琲を机に置いた。それから下を向いて「あはは」と声を出して小さく笑った。表情は見えない。
それからしばらくカップを机でカタカタ揺らしながら中の珈琲を見つめていた。前髪が垂れ下がってやはり目は見えない。
この角度からちょうど見えるのは口元。唇を一度ちょろりと舐めきゅっと締めてからもう一度開こうとするのがわかった。
以前ぷっくりしながら小さい唇にはそそられるものがあると誰かが言っていたのを思い出した。


「……『幼馴染』は、防衛線なの?」



ほら。だから嫌な予感がするって言ったんだ。





  碧 く 落 ち る








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ここでは初のオリジナル。一度こういう話をやってみたかったんだなあ。
(080924)