そう。君といるこの一瞬一瞬が大切なんだ。だから私はいっぱい幸せになりたい。
明くることのない夏の夜の
雨期を終えた関東は夏の暑さも本格的に始まり、不快な湿気と熱気を乗せながら風が吹く。
その風に八つ当たりしてみても無駄な動きと処理され自分への苛立ちとなって返ってくる。
はこの季節が大嫌いだった。特別暑がりというわけでもなかったのだが、心地よいはずの風が
この季節には吹く度に熱を帯びたうっとおしさを感じるからなのだという。
そして最も不快なことにただでさえ嫌だといっていることにとどめを刺すかのように
のクラスのみクーラーをつけた途端コントロールが効かなくなり二度とスイッチが入ることはなかった。
不快指数はマックスをとうに越え、まともな声もだせずに「う゛ー」と唸っているばかりだった。
涼しく範囲と風のあたる面積が少ない団扇の力量などたかが知れていて、対応しきれるはずが無い。
まあクーラーが入ったら入ったで温度差のせいで頭が痛いだの、乾燥するだのと五月蝿いので
どっちもどっちだ。要するにこの季節が嫌い、というところまで戻るわけである。
早く冬が来ないかなんて逃避めいたことを呟いてはみるが、当たり前のことに地球はきっちり
回っていて気まぐれなんか起こさない。ましてや日本にははっきりとした四季があるので天変地異でも
起こらない限り無謀な話だ。だがそれを自分自身にツッコむ元気などなかった。
ナニを考えても行く先々は「あつい」の三文字で結局自分で変わらないそれを言って苦しめるのだった。
「全くさ、冗談じゃないわけですよ。」
「あー可哀想だもんね、のクラス。」
「可哀想なんてもんじゃないって、あそこは。まるで収容所ですよ。授業なんて受けてられないって。」
5限目には一日の中で一番暑い時間帯に入り、図書室ではおそらく一番賑やかになる時間帯だ。
今この図書室では二人の女子生徒の声しか聞こえない。それは確かだが。
最近街中に増えた不審者のせいで全面開放だった図書室も今となっては放課後と昼休み、授業意外では
立ち入り禁止とまでなってしまった。一次的被害は勿論不幸だとは思うけれど、二次的被害は範囲が広い
ということをわかってほしい。全く不都合の多い世の中だと思うわけだが、にとっては好都合だった。
生徒だからといって勝手に入ってはいけない。それにまだ授業中だ。しかしサボりの主犯は図書委員長
でもあるから鍵を常に携帯している。表面は優等生なだけに顧問も信用しきってしまっていた。
はその表面を悪用してこうやって嫌な授業だけ勝手に図書室をあけてクーラーの温度を思いっきり
下げ、周りを気にすることなく友達とくだらないことをだべり散らすのだった。
冷房が静かにごうごうなり続ける中、音を割ってそれとは別の、戸を開けるような音がした。
反射的に音のしたほうへ顔を向けると良く知った、の大好きな顔がそこにあった。
「やっぱここかよ。」
「あらー?捜索願いでてたのー?」
「そんなんじゃねぇよ。」
「じゃあ君もおサボりですかい。」
「まぁそんなとこだな。お誘いついでの。ていうかさ、お前ら声でかすぎ。廊下筒抜けだから。そろそろ教員に
ばれるんじゃねぇ?」
いつものようにガムを口の中に入れてきた丸井が時々それを膨らますといかにも甘ったるそうな香りが
近辺に広がる。丸井の投げかけにはさっきまでのぎゃははという色気の無い笑いを抑えると
えへへと不自然に作ったような笑い声をあげた。まあどちらにしても色気はない。
ドアの前に立ったままと簡単ながら親密感を感じさせるやり取りを終えるとたちの座っていた机の
一角に座った。
「あ、私退散したほうがいい?」
「いや別にいいんだ。すぐ終わるし。…これ」
「なんすか。」
丸井はいつからポケットに入れていたんだろうか、くしゃくしゃになって所々が切れている一枚の紙切れを出した。
「花火大会。市内の。」
「えーマジで?知らなかったー。いつあるの?」
「明後日。」
「それ河川敷でやるやつだよね。」
「そうそう。」
「へぇー」
毎年近くの川でやっているというのに、そういう行事のようなことには全く疎いは紙を見つめて
情けなく感心の声を出すだけだった。
「行く?」
「もち。」
お互いに見つめて目が合うと二人はより一層幸せそうに笑う。 はそれが微笑ましいというか、
羨ましいというか良くわからなかったが自分まで幸せを分けてもらったような気分になって悪い気はしなかった。
「じゃ俺いくわー。」
「今更授業出るの?もう15分過ぎてるから欠席扱いでしょ。」
「違う違う。赤也が呼んでんの。屋上来いって。」
「そう。…あ、じゃあ赤也にこの前の借金早く返せって言っといてくれる?これ以上延滞させたら利子つけるから。」
「…りょーかい。」
苦笑しながら丸井がまた同じドアから帰っていくのを見送ると図書室はまた一瞬の静寂に包まれる。
ドアをしばらく見つめていたをが見守っていた。
「何、またなんか食べに行ったの?暇だね」
「うん。ラーメン。この前赤也が食べたいって言うから連れて行ってやったのにアイツ一銭も持ってないとか言うんだよ!」
「…いくら?」
「580円!」
「安ッ!そのくらい後輩なんだから奢ってやればいいのに。」
「なめんな、580円あったらジャンプ二冊買って余裕でお釣りくるから!」
「ジャンプかよ!あんたの金銭基準ラインはジャンプか!しかも週刊誌二冊も買わないし!」
二人の女子生徒は先ほどばれるんじゃねぇ?と忠告されたことを欠片も思い出さずくだらないことで盛り上がる。
誰もいないこの廊下に再び筒抜けの二つの声を聞いて、丸井は階段をあがりながら少し笑う。
こういうくだらないことで盛り上がれるのは親友の証拠だとは嬉しくなった。
「あ、そういえば花火ちゃんも一緒に行く?」
「まさか。私も彼氏と行くよ。」
「えッちゃん彼氏いたの!?」
今度はが上品に笑う。こうして少女たちのお喋りタイムは時間もチャイムも気にすることなく続くのだった。
@ @ @
「えーマジかよ…」
心配されていたお天気は雲に包まれてなんとか保っていた。だが先に来ていたを見るなり
丸井は肩をがっくり落としてため息をついた。は自分がきょとんとしていたことに気付いて
慌てて丸井に問いだしてみる。
「わ、私なんか悪いことしました!?」
近くにいるのに縁日独特のよくわからない同じような音楽があちこちで鳴らされて周りの人々の騒音を
プラスするとかなり大きめの声で話してぎりぎりだった。は急にお腹がすき始めた。
「いや別に…期待外れというか」
「何それーっ」
「あーもー別になんでもねぇよっ。こっちの話。ほら行くぞー」
「うわっちょっと」
本気でよくわからないまま丸井のペースに巻き込まれたは急に手を引かれてバランスを崩しかけたが
人ごみに助けられてぶつかりながらも転びはしなかった。は助けられても人ごみは好きじゃない、と
改めて思った。歩くごとに人という人に当り散らしていたのでいい気分にはならなかった。
出店の美味しそうな食べ物の香りに誘惑されて人並みの流れにそって自分までそちらに足を運びそうな
勢いだったが急に刺激の強い化学的な匂いの、混ざり合った異様な空気がくんと鼻腔をつきその瞬間気持ち悪くなる。
香水も好まないには混ざり合ったそれがただの公害のようなものとして分類される。
先ほどまでの空腹は周りの嫌な空気に侵されてしまった。は人ごみは好きじゃないというよりも、
苦手で嫌いだと改めなおした。
気持ち悪さにぼんやりと現を忘れかけていたが、腕の感覚だけはやけにはっきりしていた。
確かに掴まれた右腕。どんなに人が多かろうと構いやしない。誰かがそこを横切ろうとしてもそこだけは譲れなかった。
は捕われている自分の腕と、片時も忘れることの無い骨張った手を人にもみくちゃにされながらも同時に見て
そして少し笑う。
さすがに市内とあって声こそかけなかったが顔見知りが結構いた。は知り合いを一人見つけるごとに
なんだか高い位にいるような優越感を覚え、感じ、やっぱり笑いたくなる。心の中で思い切り伸びをすると
あることに気付いては直球型ダイレクトに声をもらした。
「わかった。」
「何が?」
やはり声は聞こえずらい。丸井も人ごみはあまり好まない。
丸井の声はでかい上に不機嫌なので、余計ぶっきらぼうに聞こえる。
「あたしがー!」
「お前?」
「あたしが浴衣着てこなかったからでしょー!」
は遠くの誰かに叫ぶように大きい声を出した。
確かに周りの女の子達に目を向けると浴衣を着てる子が目立つ。おそらくいつもより数段は可愛く見えるのだろう。
なんだか輝いても見える。それに比べの格好はというと、確かにいつもの制服とは雰囲気が随分違うのだが
特別女の子らしいわけでもないので、何も今日でなくても、とツッコミたくなる。
「…」
「あははやっぱりー。ごめんねー着てこようと思ったんだけど動きにくいからさぁ。」
「…っとにお前は…」
そういう問題じゃないと丸井は続けて思ったのだががこういう所に疎くて無神経なのも
とっくに知っていることでさすがの丸井も疲れるのは嫌だったらしくため息はついてみたものの、
もう何も言わなかった。はこういうときにえへへとだらしなく笑う。それが余計に疲れさせて丸井は
腕を再び掴みなおしてさらにぐいぐい引く。は引かれるままに行く。しばらくはそのままだった。
「ブン太くーん。どこまで行くんすかー。」
人々が良い場所で見ようと誰かに吹き込まれた『一番良いポジション』に集まって早速座り始めている。
それなのに丸井はの言葉に答えようとせず、止まろうともしなかった。ついにはそのブロックを抜けてしまった。
は丸井には何か考えがあるんだろうと無視しているわけではないことを確認してからそのあとは黙っていた。
連れられるままに足を動かしていただけで何も考えずにいたは、急に止まった目の前の丸井に対応しきれず
つっかえた。何かと思っては丸井を見ると、ちょうど残像が丸井の顔に映っては消えた。はふっと空を
見つめる。
「ここベスポジなのに意外と皆知らないんだよな。」
周りにはほとんど人がいないといってもいい。丸井は空を見つめるの横顔を見て笑う。
ただずっしりとくぐもった音が腹をくすぐりながら光より少し遅れて聞こえる。
こんなに静かな花火大会は初めてだった。色も形も変えた花火が次々とあがっていく。
「うわぁ…この音、あたし好きなんだよね。」
「…そこかよ。」
冷静につっこまれたは少し遅れてくすりと笑う。それがだんだん可笑しくなって声をだしてしまった。
「嘘々。…キレイだね。」
「だな。」
二人は座りもせず、丸井はの腕を離さず立ったまま空をぼんやり眺める。光が現れては消え、また現れる。
化学薬品に侵されていたは火薬の匂いと花火自体にそんな気持ち悪さから開放されていた。
は握られた手の上に更に自分の手を乗っける。丸井の手にほんの少しの力がかかった。
はしばらくそのままでいたい、そう思っていた。
「…ブン太」
が見上げたまま丸井の名前を呼ぶと遮るように急におでこに水滴が垂れる。
どうやら雲のほうはもう耐え切れなかったようで一度もれてしまうと溢れんばかりに大泣きをし始めた。
まるでずっと我慢していた子どものように。
花火の代わりに大粒の雨が降り始めた。
「つめてっ…うわっ」
結局掴まれたままの腕は掴まれたままで、またリードされる。雨粒を跳ね除けながら走る。
雨音と人に吸い込まれて声はまたよく聞こえない。それでもはこの酷い状況下でも幸せそうに笑う。
丸井の後姿を追いかけて、見つめて、手を引いてくれる。それだけで。
「あははっ随分濡れたねー」
川原からだとお互い家まで距離がある。急遽避難した場所は少し古びたアパートの屋根の下で
雨を凌ぐには充分だった。そんなに走ったわけではないのに妙に疲れてしまったはとりあえず
雨を払いのけるとその場に足を投げ出して座った。
「ホント、災難だなこれ。」
「ブン太には悪いけど、あたし正解だったね。」
「何が?」
「浴衣だったら今頃転んで泥だらけで靴擦れしまくりだよ。」
の横に肩を寄せて座ろうとした丸井はが真顔でそんなことを言うもんだから思わず吹き出す。
それにつられても笑う。
「あ、そうそう、でっかい花火は見れなくなったけど」
はそう言うと肩から下げていた鞄を下ろして中を探り始める。
「…線香花火?」
「そう、線香花火。これ家に余ってたからブン太とやろうと思ってたんだー。」
は手際よくライターを取り出しながら笑って答える。
「これならここでやってもばれないでしょ。」
「ははっなんか隠れてばっかりだな。」
「そーいえばそだね。」
線香花火の先にライターの小さな炎を近づける。オレンジ色に似た小さな花はぱちぱちと可愛らしく
音をたてるがこの土砂降りのなかではかき消されてしまう。は震える指をどうにか抑えようとして
必死に力を込める。だけれどそれは逆効果で先ほどよりも震えてしまい、何もなかったように
ぽとりと落ちてしまった。何度もみているけれどこの瞬間は具体的に儚く切ない。
そういう風情があるからなのだろうけれど、ただそういうものだけでない気がしていた。
自然と過去を思い出させる。いいことも、わるいことも。そういう瞬間が儚く切ないのだ。
そしてもう一つの線香花火を取り出して明かりをつけると、また花をちらつかせるのだ。
ふいに遠くを見たくなる。力も入れず何も考えずに持ち、意識を別のとこへ持って行くと不思議なことに
燃え尽きるまで終わらなかった。微かに嘲笑したくなる。
「…ブン太」
丸井はが名前を呼んでしばらくしてから反応する。少し汚れて所々穴の開いた雨よけの庇の切れ目から
落ちてきた滴が投げ出した足に垂れる。無表情のままそれを見つめてはいたが、払ったり足をずらそうとは
しなかった。は最後まで耐え切れなかった線香花火を見て「あ」と小さな感情を口に出すと
それを見届けてから隣の丸井へ顔を向ける。
「あたしやっぱりブン太が好き。」
ぽたりとまた垂れる。雨粒は一点に集中して落ちてくる。ただ、見つめる。
は真顔で言った後、声を出して笑いながらまた線香花火に火をつける。
「…ダメ。」
「え?」
「…俺のほうがのこと好きすぎてんだよね。」
丸井はひたすら雨粒を追いかけながら、それでも遠くを見ようとしている。
その視線をに焦点を合わせて真っ直ぐ見つめる。目をぱちりと見開いたには化粧気のない長い睫毛に
乾ききっていない雨の滴がきらきら光っていた。丸井は子どものように笑う。は急に幸せになる。
はまた声を出して笑った。
最後の線香花火が独りでに寂しく落ちて終わってしまうと互いの体が引き寄せられるようにそっと寄り添う。
優しく肩に手を回しゆっくりと唇を奪う。微かに漏れる熱い吐息だけがこの瞬間だけは明日が来ないのだと感じさせる。
ただ目の前にあるもの全てに触れているしかなかった。
雨は重なり合った二人を見届けた。今日の空には、大きな花が咲く。その夏の夜は、終わらない。
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出来る限りの糖分です(笑)なんか無駄に長くてすんません。
ホントは企画夢になるはずでした。
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